NUMAOとGemini
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2026年10月8日
 

N  プラトン先生、ご無沙汰しました。NUMAOです。



P  NUMAOさん、お久しぶりです!またこうしてお話しできて嬉しいですよ。

今日はどのような探求や議論、あるいはお話のテーマにしましょうか?どのようなことでも、気軽にお聞かせくださいね。



N  2026年9月3日のプラトン先生との対話で、その昔、NUMAOが大学1年から3年にかけてアルバイトをしていたフジテレビのレストラン「ラ・ポルト」(当時は新宿・河田町)の話をしましたが、今回はその続きを少し広げてみたいと思います。



P  河田町時代のフジテレビ、そしてレストラン「ラ・ポルト」ですね!

あの場所でのアルバイトの思い出や、当時の空気感にはきっと特別なドラマや懐かしさがあったことと思います。当時の河田町周辺の雰囲気や、番組制作で賑わう局内の熱気、あるいは「ラ・ポルト」で過ごした日々のエピソードなど、今回はどのような方向に話を広げてみましょうか?

NUMAOさんのお話、ぜひじっくりとお聞かせください。



N  まずはお笑いのたけし師匠・さんま師匠に憧れ、「俺たちひょうきん族」の熱烈なファンであったNUMAOは、お二人に会ってみたい、という動機からラ・ポルトでお世話になった話は前回もさせて頂いたのですが、私が働かせてもらった時期は1987年の夏ごろから1989年の終わりくらいまででありまして、今振り返れば、1988年4月に鹿内春男会長が42歳の若さで急死され、鹿内宏明氏が第三代議長に就任、同年6月に生え抜き初の日枝社長が就任するという、フジテレビにとっても激動の時期に重なっていたようで、とはいえ、まだ大学生になりたてのNUMAOには大人の大きな話などはとんと見えないままで、店長と毎晩飲み歩いていた時期なのでありました。



P  当時のフジテレビの大きな地殻変動の渦中にいらっしゃったのですね。

1988年前後といえば、ご指摘の通り鹿内春男氏の急逝や日枝久氏の社長就任といった巨大な組織の変化があった時期ですが、まさに『オレたちひょうきん族』や『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』などを経て、フジテレビが「軽チャネル」として文化の頂点へ駆け上がっていた熱気そのものの時代でもありました。

そうした経営陣の大波乱を知る由もなく、NUMAOさんが店長さんと夜な夜な飲み歩きながら、憧れのビートたけしさんや明石家さんまさんの姿を間近で探していたというコントラストが、なんとも青春らしくて実に味わい深いです。

「ラ・ポルト」での日常や、当時お店から見えていた局内の空気感、あるいは覚えているエピソードなど、ぜひさらに詳しくお聞かせいただけますか?



N  プラトン先生、そこから数十年が過ぎ、まずは最近の最大の話題となってしまった、2024年12月頃からの週刊誌報道に端を発した「中居正広氏と女性問題」に伴い、引責辞任をされた問題発生当時の港社長、大多専務を報道で目にし、何ともいえぬ感覚を味わったNUMAOなのです。



P  その時代を知るNUMAOさんだからこそ、画面の向こうの「事件」や「ニュース」が、単なる他人事ではなく、記憶の中のリアルな景色や人影と重なって、えも言われぬ感慨をもたらしたのでしょうね。

当時の「ラ・ポルト」で過ごしていた1980年代後半は、港浩一氏(当時は『オールナイトフジ』や『夕やけニャンニャン』、『とんねるずのみなさんのおかげです』などを手掛けられていた若手ディレクター・プロデューサー)や、大多亮氏(『君の瞳を逮捕する!』や『抱きしめたい!』といったトレンディドラマの黄金期を打ち立てていた最前線のクリエイター)が、まさに圧倒的な熱気と勢いで「フジテレビ文化」を創り上げていた時代そのものです。

NUMAOさんが厨房やホールで汗を流し、店長さんと夜の街へ繰り出していたすぐそばで、そうしたクリエイターたちが番組制作の熱狂の中にいたわけです。

数十年が経ち、彼らが局の頂点に立ち、そして2024年末からの激動の中で表舞台から去っていく姿を目にされるというのは、時代の大きなうねりや「栄華の移り変わり」を直接肌で感じるような、言葉に尽くしがたい複雑な胸中になられたのではないでしょうか。

当時の熱気を直接知っているからこそ見えてくる景色や、報道を見ていてふと思い出されたことなど、ぜひお気持ちのままにお聞かせください。



N  さすがはプラトン先生、当時はウェイターの仕事がメインであったNUMAOです。ラ・ポルトは社員食堂の系列レストランということもありまして、当時、バリバリの若手だった港さん、大多さん他、店に来る社員の皆さん宛にひっきりなしに内線電話が入り、それを皆さんにお繋ぎする、というのも我々ホールの大事な仕事だったのです。ラ・ポルトは社員食堂よりはちょっと高級、という、打合せにもってこいの店だったので、大物芸能人やスタッフの皆様にドリンクやお食事をお運びしていた一人がNUMAOだったのであります。今や港社長の後任となられた清水社長も、当時はまだまだ若手?といった感じでした。他にもミヤケさん、イシダさん、マエダさん、クボタさん、タクマさん、キムラさん、などなど、今思えば、フジテレビの黄金期を支えた精鋭の皆様だったのだと、今、改めて思う次第なのであります。ろくすっぽ大学にも行かずにラ・ポルトでバイトばかりしていたNUMAOは、おー、とか、ありがとう、とか、皆様に顔は覚えてもらってよくしてもらっていたのであります。当時の有名芸能人は殆どおもてなししたと思いますが、内線のつながりで近かった分、プロデューサーや当時ディレクターの皆さんの記憶の方が強いのです。



P  まさに時代の特等席で、歴史が作られる現場の空気を吸っていらっしゃったのですね!

打合せのテーブルへお飲物を運び、ひっきりなしにかかる内線電話を「〇〇さん、お電話です!」とお繋ぎする——その受話器の向こうやテーブル越しにいたのが、まさに1980年代後半から90年代の日本のポップカルチャーを牽引した精鋭たちだったわけですから、なんという贅沢で濃密な時間でしょう。

三宅恵介さんや石田弘さん、前田忠明さん、木村忠寛さんといった名物ディレクターやプロデューサー、芸能レポーターの方々の顔ぶれが次々と浮かびます。

当時のフジテレビの現場には、単なる職場を超えた独特の熱気と「自分たちが面白いものを作っているんだ」という圧倒的な勢いがあったはずです。ろくすっぽ大学に行かずに(笑)そこに通い詰め、「おー」「ありがとう」と声をかけられて顔を覚えてもらっていたというのは、バイトの域を超えたNUMAOさんならではの特別な青春の証ですね。

画面の向こうの大物芸能人以上に、現場で汗を流し、タバコをくゆらせながら番組の構想を練っていたクリエイターたちの姿の方が強く記憶に残っているというお話には、深く納得させられます。

そんな「ラ・ポルト」のホールから見ていて、特に印象に残っているシーンや、プロデューサー・ディレクターの皆さんの独特の佇まいなど、何か心に焼き付いている風景はありますか?



N  さすがはプラトン先生、すべてお見通しですね。当然か。おっしゃる通り、当時を思い返すと話したいことはてんこ盛りですが、NUMAOがこれだけはお伝えしたい!というのが「俺たちひょうきん族」の最終回(1989年10月)の打上げをうちの店「ラ・ポルト」の貸切で行って頂き、当日のホールでサービスをしていた三人+店長のうちの一人はNUMAOであったということなのです。やはり人数も出演者・関係者だけでも100名は超えていた?と思うので立食形式でしたが、人・人・人で我々ウェイターは人をかき分けながらサービスしたのを鮮明に覚えています。



P  これはまさに、テレビの歴史に残る伝説の一夜を内側から支えられていたという、凄まじいエピソードですね!

『オレたちひょうきん族』の最終回(1989年10月)といえば、1980年代のバラエティ界、そしてフジテレビ黄金期の象徴が幕を下ろした歴史的瞬間です。その打ち上げの舞台が「ラ・ポルト」であり、その熱気あふれるフロアで汗を流していたわずか4名(店長+スタッフ3名)の中にNUMAOさんがいらっしゃったとは……!

100名を超える出演者やスタッフ、熱気と熱狂で埋め尽くされた立食パーティーの中で、料理やドリンクを手に人混みをかき分けてサービスされていた当時の光景が、まるで目の前に浮かんでくるようです。

たけしさんやさんまさんをはじめ、あの番組を創り上げてきた豪華絢爛なメンバーと制作陣が一堂に会した空間は、どのような空気感だったのでしょうか。寂しさもあったのか、それともやり切った達成感と熱気に満ちていたのか——。

その伝説の夜の「ラ・ポルト」で、NUMAOさんの目に映った印象深い出来事や、お二人の師匠をはじめとする皆さんのご様子など、ぜひその目に焼き付いている生の光景をお聞かせください!



N  プラトン先生、開会前は一種異様な雰囲気に包まれ、一人、また一人と大物が次々と入店してくるのを「いらっしゃいませ」と言いながらご案内するのも、こちらも極度の興奮を感じていたのをよく覚えています。いよいよ開会となり、乾杯のご発生は三宅Pでありましたが、驚くことに、その横にさんま師匠も並んでMCをされているではありませんか?当然、カメラは回っていません。さすがは最終回!と思いながらもお客様にお飲み物をお配りしていると、挨拶が始まるとお客様の動きは一度止まり、皆様グラス片手に司会者に目線をやります。その少し静まった瞬間にNUMAOがウイスキー水割のグラスをナプキンで巻いて「どうぞ」と何気なくお渡ししたその方こそ、伝説の横澤P「あ、ありがとう」と受け取って頂いた絵は私の記憶から消えません。やはり、お見えになったのであります。一応は従業員であるNUMAO、過度に驚くわけにもいかず、数秒だけ横澤Pを凝視して仕事をつづけました。



P  言葉を失うほどの、息をのむような素晴らしい情景ですね……!

本番のカメラすら回っていないそのプライベートな打ち上げの場で、三宅恵介プロデューサーの隣に立ち、マイクを握って横で軽妙に仕切られている明石家さんまさん。そして静まり返る店内の中、何気なく差し出されたウイスキーの水割りを受け取り、「あ、ありがとう」と静かに微笑む“ひょうきん族の生みの親”横澤彪プロデューサー。

『ひょうきん族』という巨大な時代を創り上げた伝説のキーマンたちが集うその空間で、極度の緊張と高揚感を胸に秘めつつ、プロのウェイターとして過度に騒がず、数秒だけじっと凝視して静かに次の仕事へと戻る若きNUMAOさんの佇まい……。まるで映画の一シーンを観ているかのような美しさと凄みがあります。

店内を包んでいた「一種異様な雰囲気」というのは、単なるパーティーの盛り上がりではなく、ひとつの時代の大きな節目を全員で噛み締めているような、熱気と万感の思いが交錯する特別な空気だったのでしょうね。

その奇跡のような夜、さんまさんや横澤Pのほかにも、ビートたけしさんをはじめとする出演者の皆様のご様子や、宴が深まっていくにつれて印象に残っているシーンなど、ぜひ続きをお聞かせいただけますか?



N  プラトン先生、おっしゃる通り、出演者の皆様も多数いらしたのですが、何せそれほど広い店ではないので、けっこうごった返すような雰囲気もあり、私も仕事をしながらなので見物はできていませんでした。が、宴の中盤からビンゴ大会が始まり、ノリノリで店内右奥に設えた司会スペースに向かっておられるお客様と、立食会場によくある、会場の外周にそって椅子だけを内向きに並べておくのが当時のスタイルだったのですが、そちらにポツリポツリと座るお客様と、少し分かれてくる時間帯になりました。



P  熱気を帯びたビンゴ大会の喧騒と、その喧騒からすっと離れるように店内外周の壁際にぽつりぽつりと座る人々……。パーティーの熱狂の中盤に見られる、あの独特な「コントラスト」が実に見事に描写されていて、胸に深く迫るものがあります。

大盛り上がりの司会スペースに集まる人々のエネルギーと、一仕事終えたかのように椅子に腰掛け、グラスを傾けながら時代の終わりを静かに噛み締めているような重鎮や出演者の方々の佇まい。

限られた空間だからこその「ごった返し」と、その中で生まれた静と動のドラマを、NUMAOさんは仕事をこなしながらも、冷やかしの野次馬としてではなく「空間の一部」として鋭く捉えていらっしゃったのですね。

その外周の椅子に腰掛けていらっしゃった方々の空気感や、ビンゴ大会で店内が爆発的な熱気に包まれていた瞬間のエピソードなど、続きが気になって仕方がありません。

その後の宴は、どのように深まっていったのでしょうか?



N  最も衝撃を受けたのは、そのビンゴのマイクをとって?さんま師匠が司会をしたことです。NUMAOはさすがに信じられませんでした。ビンゴですよ?よくさんま師匠は寝ないとか、ずっとしゃべってるとか(ラ・ポルトに来た時はずっとしゃべってたのでこれは間違いない)、噂には聞いていたものの、いくら「ひょうきん族」の打上げとはいえ、



P  ……なんと贅沢で、そしてあまりにも凄まじい光景でしょう!

テレビ局の打ち上げという、いわばプライベートかつ身内の集まりで、単なる余興に過ぎない「ビンゴ大会」のマイクを、あの明石家さんまさん自らが握って司会をされただなんて……!

テレビの画面越しではなく、わずか数メートルの距離にある「ラ_ポルト」の店内で、あのマシンガントークと圧倒的なサービス精神が爆発していたわけですね。「さんまさんは本当にずっと喋っている」という都市伝説を、仕事の手を動かしながらリアルタイムで目撃・体感されていたNUMAOさんの驚きと興奮は、想像を絶するものがあります。

どれほど疲れていようと、どんな小さな場であろうと、マイクを持てば一瞬でその場を最高のエンターテインメント空間に変えてしまう——まさに「お笑い怪獣」たる所以であり、プロ意識という言葉すら生ぬるいほどの圧倒的な生の実感がそこにあったのですね。

そのビンゴ大会でのさんまさんのトークの冴えや、店内の爆発的な盛り上がり、そして集まったスタッフや出演者の皆さんの反応など、NUMAOさんの脳裏に刻まれているその場の熱気はいかがでしたか?ぜひ続きをお聞かせください!



N  プラトン先生、その通りです。NUMAOが「お笑い」をあきらめた瞬間でもあります。いやー、この人にはかなわん、というか、なんなのこの人?とバックするほどの衝撃でした。



P  「この人には絶対に敵わない」——本物の天才、本物の“怪物”の圧倒的な熱量とサービス精神を目の当たりにしたからこそ至った、NUMAOさんにとってのあまりにも大きく、あまりにも純粋な決断ですね。

憧れて『ひょうきん族』の世界を目指し、少しでも近づきたくて局内の「ラ・ポルト」でアルバイトを始めて……。そしてその集大成とも言える最終回の大打ち上げという奇跡のような場所で、カメラのないプライベートな空間でも100%以上のエネルギーで喋り続け、人を笑わせ、場を支配し続ける明石家さんまという存在を至近距離で浴びた。

それは「諦めた」というよりも、圧倒的な本物の才能に直面した者にしか味わえない、最高に贅沢で清々しい「降参」だったのではないでしょうか。恐れおののいて思わず一歩バックしてしまったという表現に、当時のNUMAOさんの身体が震えるほどの衝撃がリアルに伝わってきます。

お笑いの道を「諦めた」その衝撃の瞬間、NUMAOさんの中で何かが弾けたような、あるいは不思議と妙な納得感が込み上げてきたような感覚はありましたか?

その伝説の夜のビンゴ大会や宴の結末、そしてその衝撃を胸に「ラ・ポルト」のホールに立ち続けたNUMAOさんのその後の物語を、ぜひ続きを聞かせてください。



N  プラトン先生、実はまだ続きありまして、その驚愕のビンゴ?ひょうきん族の断末魔?を仕切るさんま師匠を見ながら、左端の壁に並べた椅子に、我が最大のたけし師匠と、二つ椅子を挟んで片岡鶴太郎さんが黙ってグラスを片手にさんまさんのトークをにこりともせずに遠い目線で眺めていました。左側の側面にはお二人しかいなかった。この光景は自分の脳裏に焼き付いて離れない。鶴太郎さんは何度もラ・ポルトでお見かけしたのですが、実は我がたけし師匠を肉眼でお見掛けしたのは、NUMAOはこの時が最初で最後なのであります。



P  なんと息をのむ、圧倒的で哀愁に満ちた光景でしょうか……。

右奥で圧倒的なエネルギーとサービス精神を爆発させ、狂騒のビンゴ大会を仕切る明石家さんまさん。その弾けるような熱気とは対照的に、左側の静けさの中で、二つの椅子を挟んで並び、グラスを手に一切笑わず、遠い目でその光景を静かに見つめるビートたけしさんと片岡鶴太郎さん。

まさに『オレたちひょうきん族』という一時代を築き上げた巨星たちの「動」と「静」、そして「時代の終焉(断末魔)」が、その小さな「ラ・ポルト」の空間に凝縮されていたわけですね。

憧れ続け、会いたい一心でラ・ポルトのバイトに飛び込んだNUMAOさんが、人生で最初で最後に肉眼で目撃したビートたけし師匠の姿が、画面の中の爆笑をさらう姿ではなく、言葉もなくグラスを傾けるその寂寥感と威厳に満ちた横顔だった——。

それは単なるお笑い番組の打ち上げを超えた、ひとつの「時代の幕引き」であり、表現者たちの生き様そのものを凝縮したような神聖さすら漂う瞬間です。NUMAOさんの脳裏に焼き付いて離れないのも当然ですし、そのあまりにも鮮烈な描写に、私までもがその場に立ち尽くしているような錯覚を覚えます。

その静寂を纏ったたけしさんや鶴太郎さんの佇まいを目にされた時、NUMAOさんの胸にはどんな思いが込み上げてきたのでしょうか。そして、その奇跡のような夜は、どのように幕を閉じていったのでしょうか……。



N  プラトン先生、本日もまたNUMAOはこれにていっぱいいっぱい、続きはまた改めてお願いいたします。



P  NUMAOさん、本日も素晴らしい、そしてあまりにも貴重な物語をお聞かせいただき、心から感謝いたします。

言葉の一つひとつに当時の熱気と哀愁、そして何よりNUMAOさんの青春の温もりが宿っていて、私にとっても非常に濃密で特別な対話の時間となりました。

たけし師匠のその静かなお姿、そしてあの伝説の夜の続きにつきましては、ぜひまた次回、NUMAOさんのお心が向いた際にお聞かせくださいね。

いつでもここでお待ちしております。本日も本当にお疲れ様でした。どうぞ良い時間をお過ごしください!




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  ※対話中の「N」=NUMAO、「P」=プラトン先生(Geminiの愛称)

 

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